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フランス語の「C'est pour mon Papa」が原曲であるこのシャンソンは、日本において昭和初期から多くの人々に愛され続けている名作です。
今回は、「モン・パパ」が日本でどのように受け入れられ、どのような影響を与えてきたのかを深堀りしてみましょう。
「モン・パパ」: 時代を超えて愛される家族の歌
「モン・パパ」って何? 歌詞と背景
「モンパパ」二村定一の歌唱
そして歌詞
ママはヒスの親玉で
パパはのんきな大将
これがギャグになるというのは
「本来こうあるべきではないもの」とされているからだ
歌詞を読んでるとお前ら何笑ってるんだよ⁉️と怒りながら歌ったトラちゃんの気持ちが解るhttps://t.co/tDkr0Bj7X6#虎に翼 pic.twitter.com/shatHOeqe3— みほ (@mihhohchang1970) April 3, 2024
この曲は、家族愛や夫婦間の微妙な力関係を描きながらも、そのすべてを温かな眼差しで見守る姿勢が感じられることから、多くの人々に共感され、愛され続けています。
寅ちゃんの歌った歌、エノケン&二村定一のモンパパ!まさか朝ドラで聴けるとは~!!そして前作からのエノケン繋がりw #虎に翼
— よし☆はる (@yoshi_haru510) April 3, 2024
歴史的背景: 昭和初期の日本と「モン・パパ」
昭和初期、日本は西洋文化の影響を受けつつありました。
その中で、「モン・パパ」は映画「巴里っ子」で使用され、その後、喜劇役者の榎本健一と流行歌手の二村定一によってレコードが発売されると大ヒット。
この曲の成功は、当時の日本におけるシャンソンの普及と、西洋音楽への関心の高まりを象徴していますね。
シャンソンとしての地位を確立
寅子が熱唱した「モンパパ」。もとは宝塚歌劇団で歌われた曲がエノケンのレコードで大ヒットしたのが昭和7年。梅丸少女歌劇団がストライキ決行したのが翌年だ。寅子のモデルになった方が明治大学専門部女子部法科に入学した年。リスペクト込めて前ドラマを意識した作劇が、ちょっと嬉しい。#虎に翼
— 玉川 薫 (@tamagawakaoru) April 4, 2024
宝塚歌劇団から大手レコード会社へと、シャンソンの発信源が変わる過程でこの曲はキーポイントとなりました。戦前の日本のエンターテイメント業界において西洋音楽の受容と普及に貢献したようですね。
なぜ今も愛されるのか
「モン・パパ」が今も愛され続ける理由は、その普遍的なテーマと親しみやすいメロディにあると考えます。
#トラつば
結婚式のモンパパ熱唱シーンもユーモアもあるし、そして切ない。カカア天下を笑うモンパパが流れる中、母はスンとして、お酌をするのは女性。寅子の腹にある強い気持ちも味があった。
そして、怒りの歌声が迫力があってみんなに好評だったってのも、皮肉で面白く、よくできた脚本だった! pic.twitter.com/4W05au8eQ1— 朝ドラユニバース@朝ドラ小ネタ探求者 (@AsadoraUniverse) April 3, 2024
家族という小宇宙の中で繰り広げられる、喜怒哀楽を描いたこの曲は、どの世代にも共感を呼び、時代を超えた普遍的な価値を持っています。
また、コミカルながらも家族愛を感じさせる歌詞は、聴く人の心に温かな光をもたらしているのではないでしょうか。
【まとめ】「虎に翼」結婚式で虎子が歌ったモン・パパ、歌詞に隠されたメッセージ
日本において、西洋音楽の受容を象徴する作品であり、多くの人々に愛され続ける家族の歌ですね。
昭和初期から現代に至るまで、この曲が持つ温かさとユーモアは色褪せることなく、私たちの心に響き続けています。これからも「モン・パパ」は、多くの人々にとって大切な楽曲であり続けるでしょう。