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今回は、友達の旦那さんの話です。大腸ポリープの除去手術を受けて来た旦那さんから聞いた様子を時系列に書いてみました。手術を受けた人には「あるある」でも受けた事が無い人にとっては参考になりますよ。

定期健康診断(大腸に影が有る)

その始まりは、勤め先での定期健康診断からであった。

受診後しばらくして「血便有りで要検査」との連絡を受ける。検査を受けた結果、「大腸に影が有る」とのこと。

一瞬、「大腸癌」の文字が頭に浮かんだが、幸いポリープの摘出のみで終わった。実は、これが終わりではなくて、それから以後の長い始まりとなったわけである。

生まれてこの方風邪で寝込んだりしたことはなく、またインフルエンザの予防注射も一切したことはないし、一度も病気にかかった記憶がない(えらそうぶって言うことではないが)。そんな私が初めての入院生活を経験したのである。

要因は「遺伝と体質」であると、医師からはっきりと申し渡されたのだ。要は定期検診を受け、早期発見に努めながら一生これと仲良く付き合っていくしかないということ。めんどうなことよ。

入院手続き(主役はオレだ!?)

大腸のポリープ除去手術を受けるために、入院手続きを済ませた。

その入院初日は、レントゲン、心電図、採血、大小便etc、etc・・・と、検査ずくめの一日。そして本番の手術日は、朝6時からの利尿(利便?)剤(なんと2リットルのペットボトル)を2時間以内にガブガブ飲む作業から始まった。

もちろんこの日は、三食抜きのため点滴をさせられてトイレの他はベッドの人。

その点滴も、わが血管は細くて数度の注射針の刺し込みアトを残して、ようやく痛みから解放される始末。先行きにかすかな不安を感じる。

おなかのカラッポ状態を確認後、点滴スタンドをガタゴト引きずりながら、看護師(婦)を従えて(主役はオレだ!?)手術台へ。

しかし、プライドと気負いもここまで。

まな板の鯉(情けない光景)

ここからは、まさしく「まな板の鯉(コイ)」状態へ突入。

補助を含めた男性医師3名と看護師(婦)1名の、なすがママ、言われるがママに身をゆだねるしかない、情けない光景が続く。

『すぐに終わりますから、頑張ってくださいネ』
看護師(婦)の送り出しの言葉は何の〝気付け薬〟にもならなかった。

結局、当初予定時間の倍近い1時間半程かかって、つごう6個のポリープを摘出、除去。『いやぁー、腸の長さが通常の人の1.5倍程でした』といった、担当医師のことばにも軽い疲労感でうなずくのがやっと。

実は、今回と同様のポリープ摘出手術は、この5年間に3度目である。しかも、5年前が7個、3年前が14個、今回が6個の全摘出である。

そもそもが、病気とは縁遠い身体であると思っていたために、初めてポリープの存在が見つかるまで、多分に健康への過信があったことは否めない。

それが五十歳後半にして一変したわけである。一度ならず数度も、それも立て続けに同じ病にかかるとは。

父も末期の大腸ガン(生と死、呼吸の始まりと終わり)

10年前、おやじが亡くなった。末期の大腸ガンであった。
臨終の席に立ち会った時、死に行くおやじが、最後に大きく一つ息を吸ったのを今もなぜか思い出す。

“息を引き取る”というように、人は息を吸って死ぬもので、逆に赤ちゃんはオギャーと息を吐きながら生まれる、と聞いた記憶がある。生と死。呼吸の始まりと終わり。文字通り正反対の生命現象だが、息を吐いて生まれ、息を吸って死ぬ。何と不思議なことだろう・・・。

思えば、それまで人の臨終に立ち会ったことがなかった。昔は家で死ぬことが多く、家族みんなが息を凝らして死を見つめた結果“息を引き取る・息を吹き返す”といった言葉が、見たままの表現として自然に口をついて出たのに違いない。

高度医療の今日、死は病院の機器の反応停止という機械的現象となり、死にゆく者の姿が見えにくくなった。人の一生も、時の流れから見れば短く小さい。原野で遠くに燃える野火のように、いつの間にか消えてしまう。

当時、親の死に接して改めて生きる尊さを思いつつ、わが身をかえりみたことを、今回の術後フッと思い出したのだ。

一病息災、とはよくいったもので、このポリープ検査をきっかけに、その後の定期検査で次々といろいろな病気が見つかってきたのである。狭心症・膵炎・腹部大動脈瘤・腰椎圧迫骨折等々・・・。

私の場合は、無病息災よりも一病息災の方が長生き健康につながる気がする。

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