
※登場人物は全て仮名です。
「景品、ガチャガチャにしたら絶対ウケるって」
居酒屋の個室で、友人の美咲がビール片手に言った。
私は田中さやか、32歳、フリーのグラフィックデザイナーは、そのとき軽くうなずいた。
「いいね、やろう」
この返事が、のちに自分の首を絞めるとは知らずに。
ちなみにこのとき私は生ビール2杯目で、判断力がおおむね40%くらいしか機能していなかった。
これは言い訳ではなく、重要な背景情報だ。
幹事の仕事を引き受けた翌朝、スマホのメモを見た。
「ガチャガチャ、やる」と書いてあった。
シラフの自分が書いたとは思えない雑さだった。
まず近所の100円ショップへ行った。
カプセル、ない。
次の店へ行った。 ない。
3店目。ない。
4店目でようやく店員さんに聞いた。
「カプセル、空のやつってありますか」
「うーん、取り扱いはないですねえ」
5店舗目でようやく見つけた「それっぽいもの」は、直径3センチの小さなカプセルで、大人向けの景品が入るサイズではなかった。
ここで私はいったん近くのドトールに逃げ込み、カフェラテを頼んだ。
ちなみにそのとき隣の席の女性が「ガチャガチャって最近ハマってて」と友達に話していた。
聞こえてくるのに、まったく参考にできなかった。
人生はそういうものだ。
ドトールで検索を始めた。
カプセル、空、大量、送料込み。
200個セットで6,000円。
本体レンタル、1日5,000円。
景品はAmazonで別途手配。
合計を計算した。
電卓アプリを使った。
2万3,000円という数字が出た。
「……高くない?」
しかも本体レンタルは「前日に取りに行き、翌日に返却」という条件だった。
会場は渋谷。
取り扱い店は荻窪。
電車で片道35分。
往復70分を2回で、合計140分。
これを移動コストと呼ばずして何と呼ぶのか。
カフェラテが冷めた。
脱線するが、このとき私のInstagramのストーリーには「幹事がんばってるよ日記」を上げていた。
写真うつりのいいカフェラテと、「準備中🎉」というキャプションで。
いいねが27件ついた。
実態は完全に迷子だったのに。
当日の前夜、私はリビングのテーブルに景品を広げた。
景品は雑貨屋で買ったミニタオル、コスメサンプル、ちょっといいチョコレート。
カプセルは直径6センチのものを通販で取り寄せた。
それを200個、ひとつずつ開けて、景品を入れて、閉じる。
作業時間、2時間12分。
途中でNetflixをつけた。
観ていたのはロマンチックコメディ。
画面の中では主人公がパリで恋をしていた。
私はさいたまのリビングでカプセルをひねっていた。
23時46分に作業が終わったとき、右手がじんじんしていた。
腱鞘炎の予感だった。
ここでひとつ豆知識をはさむ。
カプセルのふたは、力を入れすぎると逆に固くなる。
これは前日の夜ではなく、当日の会場で学んだことだ。
最悪のタイミングで学ぶのが、私の得意技だ。
二次会は渋谷のレストランで始まった。
新郎新婦入場。歓声。乾杯。Ed Sheeranのバラード。
ムードは完璧だった。
問題が起きたのは、ガチャガチャタイムの直前だった。
試しに一個回してみたら、カプセルのふたが固くて開かない。
「あれ、開かない」 ゲストのひとりが首をかしげた。
私は笑顔で「少しお待ちください」と言い、厨房の入り口に消えた。
そこで私は、スーツ姿のまま、200個のカプセルを一個ずつ「少しだけ緩める」という作業を始めた。
BGMはまだEd Sheeranだった。
感情と作業内容がまったく噛み合っていなかった。
厨房のスタッフさんが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。
「大丈夫です、すみません」と答えながら、私は心の中で思っていた。
全然大丈夫じゃない。
あの地獄の二次会から3ヶ月が過ぎたころ。
インスタを流し見していたら、広告が流れてきた。
「ガチャガチャ 本体セット — 本体・カプセル・説明書が全部セットで届く。その日から使えます」
私は3秒、画面を見つめた。
スクロールする手が止まった。
もう一度読んだ。
「本体・カプセル・説明書が全部セットで届く」
……届く?
全部?
セットで?
リビングのソファで、私は静かに崩れ落ちた。
崩れ落ちた、というのは比喩ではなく、本当に横になった。
天井を見つめた。
隣にいた夫が「どうした急に」と振り返った。
「なんでもない」と答えた。
声が少し震えていた。
結局、あの準備に使った時間を計算してみた。
店舗めぐり、3時間。
ネット検索と注文、1時間。
カプセル詰め作業、2時間12分。
荻窪への往復移動、140分。
合計、約8時間。
費用は2万3,000円。
「ガチャガチャ 本体セット」をあの時点で知っていれば、費用は半分以下。
準備時間は30分程度で済んだ、らしい。
らしい、というのは、今なら当時の私に教えてあげられるから。
でも当時の私には届かない。
時間は戻らない。
カプセルをひねり続けたあの夜も、厨房でスーツを着たまま格闘したあの時間も、全部本物だった。
ただ、全部いらなかった。
先月、後輩の木村さんから連絡が来た。
「さやかさん、ホームパーティーでガチャガチャしたいんですけど、どうやって準備するんですか?」
私は3秒考えた。
あの夜のことを思い出した。
Ed Sheeranと、厨房と、じんじんする右手を。
そして答えた。
「ガチャガチャ 本体セット、って検索して。最初から全部入ってるやつ買って。それだけでいいから」
木村さんは「え、そんな簡単なんですか」と言った。
そうだよ。 簡単なんだよ。
私が知らなかっただけで、最初からずっと簡単だったんだよ。
スマホを置いて、コーヒーを一口飲んだ。 右手は、もう痛くない。