阿波晩茶に3年も気づかなかった私が、
人生で一番恥ずかしい午後を過ごした話

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阿波晩茶に3年も気づかなかった私が、人生で一番恥ずかしい午後を過ごした話

※登場人物は全て仮名です。

出会いは「腐ってる?」という一言から始まった

2021年の秋、私は職場の給湯室で死ぬかと思った。

「これ、飲んでみてください。実家から送ってきたんで」

徳島出身の同僚、みほちゃんが差し出してきた湯呑みの中身を見た瞬間、私の脳みそは全力で警告を出した。色が濃い。なんか底のほうに何か沈んでる。そしてなにより、ぬか漬けの瓶を開けたときに近い、酸っぱい香りがする。

「…これ、お茶ですよね?」

「そう、阿波晩茶。おいしいよ」

おいしい、という言葉とこの見た目のギャップが激しすぎて、私は5秒くらいフリーズした。みほちゃんは満面の笑顔で私を見ている。断れる空気じゃない。

一口飲んだ。

渋い。酸っぱい。あと少し、土っぽい。

「おいしい…ですね」と言いながら、私は心の中でこっそり「お年寄りの飲み物だな」とカテゴリ分けして、そっと棚に閉まった。みほちゃんには「ありがとうございます」と伝えて、その日の午後、完全に忘れた。

ここで少し話が脱線するのだが、私は昔から「見た目で判断してはいけない」と言われるたびに「わかってる」と答えてきた人間だ。でも実際には、見た目で判断しまくっている。就活のとき、パンフレットがオシャレな会社を選んで3ヶ月で辞めた。ケーキバイキングで見た目が地味なモンブランを後回しにして、結局たどり着けなかった。そういう人間だ。そして今回も同じことをした。

30万円分の「正解探し」が始まった

それから私は、エイジングケアの沼に入っていった。

40代に入ったあたりから、肌の質感がじわじわと変わってきた。乾燥ではない。くすみでもない。なんというか全体的に「更新されてない」感じ。スマホで言うならOSが古いまま放置されている状態。

まずコラーゲンドリンクを試した。1ヶ月9000円。次にナイアシンアミドの美容液。これは効いてる気がしたので継続した。気がしただけかもしれない。友達に勧められてNMNサプリも飲み始めた。1ヶ月18000円。あとビタミンC点滴を2回。1回8000円。

気づいたら、年間で軽く30万円を超えていた。

夫に「最近なんか買ってる?」と聞かれたとき、「美容に少し投資してる」とだけ答えた。「少し」という言葉の許容範囲については、夫婦間で定義が違うことを私は知っている。

そして去年の秋、皮膚科の帰り道だった。

「エイジングケアは継続が大事ですよ」と先生に言われて、「そうですよね」と笑って診察室を出た。帰り道のコンビニでお茶を買いながらスマホを開いたら、Xのタイムラインにこんな文章が流れてきた。

「徳島大学×慶應チームが阿波晩茶の乳酸菌に注目。オートファジー活性化との関連を研究中」

「え、あれ?」という3秒間

スクロールする手が止まった。

阿波晩茶。

その単語を見た瞬間、2021年の給湯室の記憶がフルHDで再生された。ぬか漬けの香り。渋くて酸っぱい味。「お年寄りの飲み物だな」と思いながら飲み干したあの湯呑み。みほちゃんの「おいしいよ」という笑顔。

そのまま読み続けた。

阿波晩茶は100種類以上の乳酸菌を含む発酵茶で、現存する製法は徳島の山間部だけに残っている。腸内環境への働きかけが複数の研究で確認されており、近年はオートファジー、つまり細胞が古い部品を自分で分解して再利用するメカニズムとの関連で注目されている。

オートファジー。私が昨年、「16時間断食」として3週間試みて、7日目に夜中に冷蔵庫の前に立っていたやつだ。スタンフォードの若返り研究でも何度も出てくる、あのキーワードだ。

コンビニの前で私は立ち尽くした。

30万円分のサプリと美容液を脳内に並べながら、3年前に差し出された湯呑みのことを考えた。あのとき「お年寄りの飲み物」と心の中でカテゴリ分けして、そっと棚に閉まった。その翌月、私は1万5000円のサプリを「最新研究に基づいた成分配合」という文言を信じて買っていた。

恥ずかしさが、静かに、じわじわと来た。

ここでまた少し脱線するが、人間というのは「パッケージが洗練されているもの」と「エビデンスがある」を無意識に結びつけてしまうらしい。白くてミニマルなボトルに英語で成分名が書いてあると、なんとなく信頼してしまう。反対に、農家のおばあちゃんが山で作った発酵茶は、どんなに研究されていても「民間療法っぽい」と感じてしまう。私はその罠に3年間、まんまとはまっていた。

みほちゃんへの2年ぶりのLINE

翌日、職場でみほちゃんを探した。

「あの、阿波晩茶って、どこで買えますか」

みほちゃんは一瞬きょとんとして、それからにっこり笑った。

「3年前に渡したじゃないですか」

「…飲みました。おいしかったです」

「腐ってると思ったでしょ、顔に出てました」

全部バレていた。

みほちゃんは「実家に頼めば送ってもらえるかも」と言いながら、スマホで検索して購入できるサイトをいくつか教えてくれた。私はその場でポチった。送料込みで1600円だった。

30万円かけた女が、1600円のお茶を「これが答えだったのか」という顔で買う。そのシーンを誰かに見られていなくてよかったと思いながら、画面の購入完了ボタンを押した。

届いたその日から毎朝飲んでいる。今日で3週間目だ。

肌が劇的に変わったとか、10歳若返ったとか、そういうドラマチックな話はまだない。ただ、胃腸の調子がなんとなく落ち着いている感じがする。朝起きたとき、体が少しだけ軽い気がする。「気がする」という言葉を3回使ったが、この感覚は今のところ続いている。

みほちゃんには先週、徳島の銘柄違いの茶葉を2種類、お礼として贈った。「え、そんな気を使わなくていいのに」とLINEが来た。

気を使わずにはいられなかった。

本物の答えはたいてい、地味な見た目で、酸っぱい香りがして、3年前にすでに目の前に差し出されている。

 

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