
※登場人物は全て仮名です。
「なにこれ、おしゃれじゃん」
最初にそう思ったのは、Instagramのストーリーズをぼーっとタップしていたときだ。
フォロワー8万人のライフスタイル系インフルエンサーが、薄くてスマートなカードケースを紹介していた。
「海外旅行に必須!スキミング防止機能つきで安心」
私はそのストーリーを0.3秒で飛ばした。
海外旅行の予定も、セキュリティへの興味も、当時の私にはまるでなかったから。
その日の夜ごはんはコンビニのチキンで、翌朝の会議の資料はまだ半分しかできていなかった。スキミングどころじゃない。
3ヶ月後、私は大阪にいた。
出張でも旅行でもなく、妹の結婚式のため。会場は南港の、見るからに「ここ一日いくらするんだろ」という感じのホテルだった。
披露宴が終わって、二次会が終わって、妹夫婦を見送って、気づいたら終電を逃していた。
タクシーに乗って、クレジットカードで払おうとしたら、端末がエラーを出した。
「あれ、もう一枚お持ちですか?」
もう一枚で払った。
その翌週、カードの明細を見て目を疑った。
「Contactless Payment ¥14,800」
タクシーの領収書とは別に、見覚えのない請求が1件。
場所は「大阪府」としか出ていない。使った記憶は、どこにもない。
ちなみに妹の結婚式は最高だった。ウェディングケーキのいちごが大きくて、思わず写真を5枚撮った。今もスマホのカメラロールにある。スキミングとはまったく関係ないが、あの日は本当にいい式だった。
1番は新卒の面接で社名を言い間違えたことだが、それは置いといて。
カード会社に電話した。
自動音声のガイダンスを3回聞いて、オペレーターにつながるまで12分かかった。
事情を説明したら「調査に2〜3週間かかる場合がございます」と言われた。
その間、そのカードは使えない。
「わかりました」と答えながら、心の中で盛大にため息をついた。
14,800円という金額が絶妙だった。怒りを感じるには少し小さく、笑い飛ばすには少し大きい。本当に絶妙な金額設定をしてくれたと思う。誰に言ってるんだという話だが。
電話を切ったあと、ベッドに寝転んでスマホを開いた。
「スキミング クレジットカード 仕組み」
調べて、はじめて理解した。
非接触型決済に対応したカードは、カード内のICチップが電波を出している。専用のリーダーを数十センチ以内に近づけるだけで、カード情報が読み取れてしまう場合がある。財布の中に入っていても、バッグの外からでも。
「え、触れてもないのに?」
そうなのだ。触れてもいないのに。
二次会のあの居酒屋、混んでいた。テーブルの間隔が狭くて、見知らぬ人が何度かすれ違っていた。あのとき私のバッグは椅子の背もたれにかけていて、カードは内ポケットに入っていた。
ぞっとしながら、さらに検索を続けた。
「スキミング防止 財布 おすすめ」
そこで見つけたのが、3ヶ月前に0.3秒でスキップしたあの商品と、ほぼ同じものだった。
インフルエンサーが紹介していたカードケース。
あれをちゃんと見ていたら、少なくとも「スキミングって何?」という状態にはならなかった。防犯グッズとわかって買わなかったかもしれないが、少なくとも仕組みくらいは知れた。
知識があれば、二次会の席でバッグの置き場所をもう少し考えたかもしれない。
「情報を飛ばすのにも、コストがかかるんだな」
深夜2時に、一人でそんなことを思った。
調査中のカードが戻ってくる前に、買ってしまった。
薄型のカードケースで、内側に電磁波を遮断するシート素材が入っているタイプ。見た目はごく普通の革製で、防犯グッズっぽさはゼロ。
届いた日、職場の後輩に見せたら「あ、おしゃれなやつ買ったんですね」と言われた。
防犯グッズです、と伝えたら「えっ、これが?」と本気でびっくりされた。
そのあと5分、スキミングの説明をした。後輩は「知らなかったです、ちょっと怖いですね」と言って、その場でスマホで調べ始めた。
私が3ヶ月前にすべきだったことを、後輩は3分でやった。
カード会社からの連絡は2週間後に来た。
「不正利用と認定され、返金処理が完了しました」
14,800円は戻ってきた。
でも2週間のカード停止と、あの電話の12分と、深夜の検索時間と、なんとなく続いていたざわざわした気持ちは、戻ってこない。
金額の問題じゃなくて、「やられた」という感覚がしばらく抜けなかった。
カードケースはいま、毎日使っている。
薄くて軽くて、見た目も悪くない。ストーリーズをスキップしたあの日の自分に「ちゃんと見ろ」と言いたいが、タイムマシンがないのでどうにもならない。
ただ、ひとつだけ言えることがある。
スキミング防止グッズがSNSで流行っている理由、これを読んだあなたはもう知っている。
私みたいに、14,800円払って気づく必要はない。